今日のひとコマ
任天堂の功罪
先日、近所にあるNPO法人代表者さまのご自宅へある要件で呼ばれて出向いた際、
これまでゆっくりお話させていただく機会に恵まれなかったこともあって、
お互いがお互いのことについてかなり長い間話し込むことになった。
私の仕事の話に及んだ際、徐々に熱を帯びてきてお互いの教育論を戦わすことになった。
お孫さんと接する中でゲーム機の扱い方について悩みを抱えておられるようで、
私の子育て期間におけるその取り扱いについて尋ねられた。
この手の問いに対する回答は、子どもが生まれてから一度もブレることはない。
なぜなら、子どもが生まれる前にすでに出来上がっていたからだ。
“可搬式のゲーム機は与えない”
Wiiやプレイステーションなどテレビに接続しなければならないゲーム機の場合、
大半は親の管理の下でしか使用することができない。
ところがSwitchやDSなどは、ご承知の通りどこでもできる。
自室はもちろん、病院の待合室、移動中の車内、挙句の果ては公園の滑り台の下でも。
「外で遊んできなさい!」と言われて家を飛び出していくのは結構だが、
行った先が滑り台の影の下では本末転倒だ。
まだ独身の頃、近所の公園の近くを通るたびに目にするその光景が異様に映った。
結婚後も、まだ幼い我が子をクリニックに連れて行くたびに
DSの画面にくぎ付けになる子どもとスマホが手放せない親のコンビネーションを我が子に見せないよう心掛けてきた。
クリニックの待合室にはたくさんの本が置かれているし、
車窓から外に目をやれば通り過ぎる景色から得られるものは限りなく大きい。
公園で思いっきり体を動かせば、運動能力の低下が叫ばれることもないだろう。
小学生陸上記録会の花形種目だった懸垂が種目から消えたときは大きな衝撃を受けたが、
今では壁倒立さえできない子どもが多いのも十分に頷ける。
私はありがたいかな周囲のそういった状況を反面教師に、
クリニックの待合室ではいつも本を読んで聞かせてやったし、
移動中の車内では窓の外を流れる四季折々の景色を一緒に見ながら、
幼児なりの気づきを与える機会を確保してきた。
もちろん公園では体力の許す限り全力で走った。
ひとしきり話したところで、会話を聞いていらした奥様が一言。
「私、任天堂の罪は大きいと思う。」
ゲーム会社の社長を務める高校時代の先輩は、
“いつでも誰でも自由に余暇を楽しむこと”
その実現がゲーム会社の使命であると私に語った。
その功績は大いに認めるが、それゆえ享受する側のモラルが問われている。
私の幼少期に登場したファミコンは世の中を席捲した。
にもかかわらず、私たち兄弟はその繁栄を享受することができなかった。
どれだけ泣いてもわめいても、私たち兄弟の渇望は空回りした。
友人たちの話についていけず切ない思いもしたが、
大人になればいつしか我が子にも同じ思いをさせていた。
しかし後悔はなかったし、子どもたちも親になれば同じ道をたどって欲しいとも思う。
我が家にDSやSwitchはないが、
それらがあっては与えられなかった幸福度が存在していると確信している。
話の最後に代表の方が一言。
「それはお父さんが素晴らしいがね。」
微塵も異論はなかった。
桃源郷
公式LINEは更新していてもこちらは手付かずだったため、
更新が滞っていることを問い質す貴重なご意見を頂戴しました。
ですのでこのところ考えていたことを吐き出しますが、
かなり長くなりますので適度にお付き合いください。
私たちの幼少期。
大人社会、子ども社会を問わず、
強要や体罰は市民権を得ているかのようにありふれた存在だった。
令和3年。
大人社会、子ども社会を問わず、それらは社会のタブーであり
駆逐されるべきことが社会の大義となっている。
潜伏していた残存勢力が顕在化した瞬間、
社会から袋叩きに合いSNSは炎上する。
当時、少なからずそれらの被害者であった私はもちろんそれらを肯定するはずもなく、
誰かがそれらの犠牲になるようならば断固として被害者側を支援し加害者側を叱責する。
誰にも優しく、誰にも公平で、一度失敗してもセカンドチャンスが与えられるくらい
包容力に満ちた社会が訪れることを心から望んでいる。
しかしながら、それでは救われない一部の人間がいることは理解して欲しい。
全ての人間がそれで救われることはないのだと。
強要や体罰を社会から駆逐することを全面的に肯定し、
社会の隅々にまで新しい秩序をもたらそうとする人たちはいわゆる“できる”人たちだ。
現在の社会は二極化が進んでいる。
それは大人社会のみならず子ども社会でも。
例えば学校の定期テストや実力テスト。
ボリュームゾーンが300点前後にあった私たちの幼少期とは異なり、
現在ではフタコブラクダの背中のように、
上位層と下位層の間にくぼみが存在する。
上層の山は下層のそれよりもやや小高く、
上層寄りのそのくぼみは深いほど重症化しているといえる。
上位層に位置する子どもたちは強要などなくとも、
勉強することが自分に必要であることや将来の幸せに資することだということを、
ぼんやりながらも理解しているため勉強に対して前向きでいられる。
そして、一定量の学びの喜びも感じている。
親からの遺伝や家庭環境が影響していることは明白だが、
下位層ではそうではない。
彼らは勉強することの意味や喜びが理解できず、
将来への期待や幸福度を高めるための努力よりも目先の快楽に走りがちだ。
想像力が乏しことも起因しているだろう。
そんな彼らに対して、桃源郷のような未来の社会の訪れを前提としたような指導は
無意味だと感じている。
彼らに対して、言葉の力だけで何かを伝えることはほぼ不可能で、
それが子どもであればなおさらだ。
言葉の力を信じるが余り、それが彼らの心に響く前に彼らは成長し、
取り返しのつかない状態になってしまう。
現在の公教育の現場では彼らに対するツールは限定されている。
私教育の現場でしかできないことが少なからずあると思い、
今日も子どもたちに全力で接しているが正解はまだ見えない。
ただ、多少の強要や愛の鞭が、現在でもときとして必要な場合があることを
ほんの少しでも理解していただきたい。
40代以上に限定しても60万人を超えると言われる
引きこもり予備軍を育てる訳にはいかない。
自立して納税できる社会の一員を育てることが使命だと思っている。
故に、正解は見つからないものの自分を信じて前進する他ない。
三つ子の魂百まで
先週の日曜日☀️🎵
最高の天気の中、朝イチで野球⚾️の試合、それが終わってからはバッティング練習。
午前中目一杯体を動かしたので、翌朝は目覚めた瞬間から全身筋肉痛でしばらく起き上がることができませんでした💦
もう歳だしそんなに全力でプレーしなくても…と、冷静に考えればわかりますが、いざボールが飛んでくると何が何でも取ってやろうとダイビングキャッチを試みてしまうので、全身強打の上、後ろもまともに振り返ることができませんでした、、、
小さい頃から全力でボールを追うことを求められてきましたが、これは〝三つ子の魂百まで〟の弊害なのでしょうか😓
三つ子の魂といえば、再び日本人のふとした行為が、全世界から注目を集めています💡
https://twitter.com/espn/status/1381390122520768515
私も未だにグラウンドに出入りするときは自然と脱帽して一礼しますが、どんなスポーツにおいてもおそらく同様のことを少年時代から監督・コーチによって指導されていると思います。
小さい頃教えられたことを、大人になっても当たり前のように続けているだけで世間から称賛を受けて、その人の評価に繋がることがあります。
例えば、誰にでも当てはまる手頃なものといえば〝挨拶〟でしょうか。
塾への入退室のときの大きな挨拶は、耳にした瞬間それだけで気持ちがいいものですし、その生徒に対する好感や親近感に繋がります。子どもたちには繰り返し話して聞かせていますが、〝挨拶は自分を助ける〟ことになると思いますので、習慣化できるまでしっかり指導していこうと思っています👍🏻
話変わって先週の土曜日、中3の授業中に入試までの心得について様々な話をする中で、かつての教え子の一人が、私が試供品としてもらってきた合格ハチマキをただ一人頭に巻いて受験勉強していた話を聞かせました👂🏻
年に一度はネタの一つとして毎年話している内容ですが、子どもたちは楽しそうに聞いてくれるのでありがたいことです🎵
話が終わって数学の授業に入った頃、駐車場に一台の車が入って来たので〝こんな時間に誰だろう〟と思った矢先、車から降りて小走りにやって来たのが…何と今話をしていたそのハチマキ男‼️😲💦
もう飛び上がるほどビックリして、大声を上げてしまいました🤣💦💦
東高を卒業して、高知大学へ進学直後に会ってから何年も連絡さえとっていなかった生徒が成長して目の前に突然現れたのに加えて、その生徒のことを話の流れでたまたま持ち出したばかりでしたから驚きです💦
それのみならず、前々から気になっていながら勇気がなくてドアを開けることができず…来週こそ意を決して行ってみようと思っていたすぐそこの牡蠣小屋で美味しい牡蠣をたらふく食べてきた帰りだと言うのでそれにもビックリ💦💦
〝こんな偶然ある⁉️〟とお互い驚きながら、当時の話や大学生活、今月から始まった社会人としての話など、短い時間でしたが大いに盛り上がりました😆🎵
来て早々、教室内の空いている席に何食わぬ顔で座ってしまう辺りも当時のままで、そんなことも許せてしまうような人懐こいところにも〝三つ子の魂百まで〟を感じました✨
麻雀🀄️も打てるようになったとアピールしてきたので、社会の厳しさを教えてやるとしまします😎
我が子の中にも〝三つ子の魂〟が育まれているだろうかと不安になりつつも、ハチマキ男と近々再会する日が今から待ち遠しいです🎵
みなさんの中の〝三つ子の魂〟はどんなものでしょうか?
ではまた〜👋🏻
「木枯らし」とは
♬垣根の垣根の曲がり角~♬
言わずもがな、童謡・たき火の歌い出しである。
「言わずもがな」と書いたが、それが正しくない表現であることを先日体験した。
中2英語の教科書本文の日本語訳注に「垣根」という言葉が登場した際、
子どもたちの頭上に目には見えない???を感じ、
「垣根って分かるか?」
と尋ねてみた。
理解している生徒は「柵」だと言う。
そう、それ正解。
「柵」が理解できない生徒に対して、
「♬垣根の垣根の曲がり角~♬の垣根や!」
そう言ったがしまい、???が教室内全域に広がったのが可視化されたようだった。
童謡・たき火を生徒20名誰一人知らない。
全員知らないでは垣根の説明になるはずもない。
「え?ってことは…木枯らしって知っとる?」
生徒A「誰それ?」
生徒B「アザラシ?」
「人じゃねーし、アザラシの友達でもねぇ!!」
♬どんぐりころころ♬は知っていても、
♬あんたがたどこさ♬は知っていても、
♬たき火♬は誰一人知らない。
そういうことか。
聞いたことがないということは、
彼らの成長過程で流れていなかったということで、
流れていなかったということに原因があり、
流れていなかったということは、
それを流さなくなった環境がある訳で、、、
そう考えていくと合点がいった。
そう、彼らはたき火をしたことがない。
世の中の変化、居住環境の変化からか、
今の世の中、たき火はタブーとなっている。
野焼きが法律で禁止になってからそれが顕著になっていると感じる。
我が家では子どもたちが小さいころから、
父が率先して隣接する畑で当たり前のように焼き芋を作ってきた。
畑の落ち葉を集め火をつけて、
その火の様子を見守りながら芋が焼けるのを待つ。
毎年恒例の光景だった。
(※農業を営むにあたっての軽微なたき火は法律で明確には禁じられていません)
さらに言えば、子どもたちを乗せて走る母の車の中のBGMは童謡一色だった。
もちろん♬たき火♬もそのレパートリーの一つ。
変化する世の中にあって、時が止まったかのような我が家を有難く感じたが、
それだけで終わらせるにはもったいない。
たき火、焼き芋は一例に過ぎないが、
身近に自然体験が溢れていた昭和の時代は幸せだった。
今思い返せば不便ではあったが幸福感が高かったように感じる。
毎晩毎晩風呂を沸かすために祖母と2人で、
土間の壁に開けられた小さな穴に薪を突っ込んで火をつけていた子どものころは、
それが不便だとは思わなかった。
なぜならそれしかなかったから。
令和の時代と比較できない今を生きていたから。
比較の対象があれば不便さも感じたろうが、
そうでない不便さは幸せだった。
https://kodomo-manabi-labo.net/3-10-shizentaiken
サイトの中にもあるように、
一般的に、幼少期の自然体験が多い方が、
「生きる力」や「知的好奇心」が身に付くとされている。
小さいころからゲーム機やタブレット端末に囲まれている子どもたちと、
虫や魚や木や水などに囲まれている子どもたちとでは、
人間としての力強さに差が出るのも頷ける。
と同時に思うことがもう一つ。
子どもたちの周りからリスクが排除されることは世の当然の流れだが、
排除した後の世の中では彼らはリスクを学べない。
火をつけることは危なかろう。
しかし、熱い思いをしなければ火の本当のリスクを知ることはできない。
転ぶと痛いから次は転ばないようにと気を付けることで、
そこに学習が生まれる。
大人になって初めてリスクを知るようでは、
その対処に大きな戸惑いを覚え怪我の大きさも増す。
小さいころから少しずつリスクに慣れていくことはとても大切なことだと思う。
こんな風に考えてくると、
子どもたちの将来を幸福に導くことが使命と考えている以上、
勉強を教えるだけでなく、やらなければならないことがあると感じた。
とりあえず、たき火かな。
根拠のない理論
随分とご無沙汰いたしております。
コロナ禍の中、小学校の消毒作業が生活の一部となったことに加えて、
娘二人が受験生ということでその送迎の関係から生活のバランスや仕事のリズムが変化し、
自分の身体との付き合い方にまだ慣れていない感覚が続いています。
6月のある日の授業中。
ちょっとした衝撃を感じる出来事がありましたので共有させていただきます。
「衝撃」という表現は大袈裟に映りますが、私にとってはそれなりのものでした。
授業が始まってまだ間もない時間帯でした。
おもむろに生徒の一人が机の上のペットボトルに手を伸ばして、
躊躇うでもなくそれでもやや遠慮気味な素振りでジュースを飲み始めました。
休憩時間ではありません。
授業中です。
それも、自分でも結構大切だと思う話をしている傍ら。
平静を装いつつも、頭の中にはいくつもの「!?」が浮かびました。
その生徒は中1の男の子で、
休校期間を経てようやく6月から本格的に授業が始まったばかりでした。
これまでの私なら、間違いなく注意していたでしょう。
それもややキレ気味に。
「おいお前!今授業中やろ!」といった具合でしょうか。
なぜその場でこれまでの自分がそうしたであろう対応を躊躇ったか、
その心境は自分のことではあるものの今も釈然としませんが、
そうすることを躊躇わせるだけの目には見えない何かがその瞬間に存在したのだろうと思います。
帰宅して湯船につかりながら、そのときの情景や彼らの育ってきた環境や社会の流れなど、
46年間かけて構築してきた小さな世界で可能な限り考えてみました。
そもそも、授業中にジュースを飲むことに対する自分の中の否定的な思考はどこから生まれてきたものなのか。
自分の思考を正当化し、彼の行動を否定する根拠はどこにあるのか。
まずはそこから真剣に考えてみました。
風呂から上がって喉を潤しながら、
これといったものが何も見つかっていないことをある種の収穫としつつも、
それまでの自分の拠り所のない思考に限界を感じてしまう結果となりました。
私は子どものころから、根拠のない大人の理論や納得のいかない縛りに対して反旗を翻して生きてきました。
よって、ときとしていわゆる「目を付けられる」存在であり、
煙たがられる存在としての評価を場面によっては受けてきました。
例を挙げれば枚挙にいとまがありませんが、彼らと同じ目線に立てば校則でしょうか。
丸坊主の強要、シャーペン禁止、真っ白い靴や靴下。
それらの校則どれもこれもが思春期の自分を四角い型に閉じ込めようとしたにもかかわらず、
現代では過去の遺物か笑いのネタになっていることを、
当時の大人たちはどんな言葉を駆使して納得させてくれるのでしょうか。
それとも「それが時代だ」という一言で片づけるのでしょうか。
私たち団塊ジュニアと呼ばれる世代が生きてきた時代と現代とでは、
社会構造も家庭環境も人々の価値観も、さらには求められる人間像も何もかもが大きく異なってきています。
家庭では祖父母や両親はまだ絶対的な地位を築いていましたし、
悪いことをすれば隣家のおじさんにもこっぴどく叱られました。
学校でも、忘れ物をすれば先生にぶたれ立たされ、部活中でも水分補給時間など与えられず、
飲めるものといえばファールボールを取りに行ったときの用水路を流れる水ぐらいのものでした。
温暖化の進行による熱中症対策として水分補給が日常となっている現代っ子たち。
登下校時や休み時間はもちろん、何かにつけて水分を摂取することが日常化している彼らにとって、
授業中であってもその行為を咎められたことなどなかったのかも知れません。
翻って、水分補給などタブーだった時代を生きてきた、今は大人になった私たちの日常においても、
水分補給を咎められることなど皆無です。
会議に出席すればテーブルの上にはペットボトルのお茶が整然と並べられていますし、
それに手を伸ばすことを躊躇うことはありません。
セミナーに参加しても水分補給のタイミングについてあれこれ詮索することなど考えられません。
常態化する嘘や誤魔化しは、彼らの将来を不幸にすると確信していますので、
みなが恐れおののくほど強硬な姿勢で臨んでいますが、
授業中にジュースを飲む彼らの行為を否定する要素は、
彼らの将来にとっても私にとっても「無い」ということになります。
これが私にとっての「衝撃」の顛末でした。
つまらないことかも知れませんが、私にとっては安倍首相の辞任に匹敵しうる出来事でした。
後輩の塾講師にもじっくり聞かせやりましたが、その反応は私を満足させるものでした。
上級学年の生徒にもこの話を聞かせましたので、
以来、我が塾では授業中にジュースを飲むことは「可」となり、
今では頻繁にその光景が見られるようになりました。
最後に。
私たちの世代は、ことに付け我慢や辛抱が求められました。
それが理不尽であろうとなかろうと関係ありません。
そして、私たちの親世代はそれ以上のものが当然であった時代を生きてきました。
誤った我慢や辛抱であっても、少なからずその影響で
「あの時に比べればこのくらい...」
という思考が知らず知らずのうちに働いて、
生きていく上での困難や苦労を乗り越えられてきている局面が皆無であるとは言えませんが、
それらを肯定することが体罰やパワハラにつながっているのも事実です。
社会に出れば多かれ少なかれ、我慢や辛抱をしなければならないシチュエーションはやってきます。
子どもたちに対して誤った我慢や根拠のない辛抱を強要することではなく、
勉強することを通して我慢強く継続することや辛抱強く努力することを、
手を変え品を変え教えていかなければならないと思っています。
「たくましさ」
通塾を通して彼らにその芽を植え付けることができれば、
彼らの将来の本当の豊かさにつながるのだと信じています。
もちろん、彼らが大人になって尋ねてたとき、理路整然と説明できる方法で。
これからの社会
アフターコロナにウィズコロナ。
加えてポストコロナでしょうか。
コロナ禍によってもたらされたコロナ後の社会を指す言葉のようですが、
恥ずかしながら私は未だよく理解できていませんし、
どこの誰が言い出したかについても特に興味はありません。
興味があるのはただ一つ。
コロナ禍によって被った社会的損失や犠牲を、
ただの損失や犠牲のまま放置せずに、
今後訪れる新しい社会の果実に替えていくこと、ただそれだけです。
人間は失敗もしますし間違いも起こしますが、
それを愚かなことだとは思いません。
それが人間というものだと思うからです。
だから若いころは失敗をし過ちを悔いることの連続でいいと思います。
愚かだと思うのは、若いころの失敗や過ちをその後も繰り返してしまうことです。
塀の向こうで暮らしている人たちのように。
今回のコロナ禍も、天災でないのなら決して繰り返してはいけません。
そして、多くの犠牲を払い損失を被った訳ですから、
コロナ後の社会はそれ以前よりも輝いていていなければなりません。
コロナ以前も存在し肯定されていたものでも、
実際に運用・実践できないのは人間の性でしょうか。
以前と同じ状態というのは居心地がよく、
他方、変化することは大変な労力を伴うため踏ん切りがつきません。
リモートワークしかりweb授業しかり、
仕組みを考え、予算を付けて、保証を整備して、
そうこうしているうちに立ち消えになったり足踏みをしたり。
ところが、コロナに襲われればたちまち実現できてしまう。
どれほど用意周到に準備を進めて実現に漕ぎつけた仕組みでも、
変えたときには不測の事態が付き物です。
万全などあり得ません。
不確実性を含みつつも、
動かしていく中で最善を目指して作り上げていけばいい。
望むと望まざるとにかかわらず、
コロナ後の新しい社会が模索されつつある今、それぞれが
前だけを見据えてより良い社会の実現を目指していく必要があります。
私が目指すのは、何かに縛られることなく多様性を認め合える社会。
もちろん自分もその一員になれるよう研鑽を積まなければなりませんが、
これからの社会の担い手となる子どもたちのために、
少しでも幸福度の高い社会を用意してあげたいと思っています。
"負の遺産を残した世代”と後世から後ろ指を指されることがないように、
できることをコツコツと積み上げていきましょう。
祝 退院
今日4月7日は祖母の98回目の誕生日。
その記念すべき日に、居るべき場所に居るべき人がおよそ100日振りに帰ってきた。
三女と2人、庭のベンチに腰かけて父の帰りを待っていると、
春のやさしい風とともに小さな祖母を乗せた小さな車が、
私たち2人の前に滑り込んできた。
家族総出でお迎えし、100日前とは一部リニューアルされたいつもの場所へ、
足元のおぼつかない祖母を慎重に案内した。
「お帰り。誕生日おめでとう。」
そう声を掛けると、
「またお世話になります。」
おしとやかな表情でそう返してきた。
いとこLINEにも写真を添えて連絡を入れると、
矢継ぎ早にお祝いの言葉が届き、みんな心から喜んでいるようだった。
夜は母が赤飯を炊いたので、
特に好きではないが今日ぐらいはと一杯頼むと、
今日という日がそうさせたのか、年齢がそうさせたのか、
それとも母の腕が上がったのか、
これまで口にした赤飯よりも美味しく感じた。
三女も横から一口つついてきた。
いつもの場所に100日振りに腰かけて、
いつもと同じ量をいつもとペースで食べ終えた祖母は、
好んで三女を希望して手を引いてもらい台所を後にした。
「あと二年で100歳やな。」
期待を込めてそう伝えると、
「そんなこと思ってもみぃへん。」
そう言いながらもまんざらでない祖母を見て期待が持てた。
ということで、我が家には100日振りにいつもの景色が戻ってきました。
二年後の今日を家族そろって迎えることが今の一番の願いです。
全員合格
本日高校入試の合格発表があり、見事塾生全員合格がをつかみ取ってくれました。
毎年的中させてきた理科の出題予想を大幅に外しましたので、
自分としては消化不良になった面は少なからずありましたが、
それ以上に子どもたちが奮起してくれたということで嬉しい限りです。
客観的な事前分析から勝算があるとは思っていました。
上位高の倍率が例年と比較するとかなり低かったからです。
倍率はこちらの想定を覆すことの要因の一つとなり得るので、
今年はそれに助けられた一面があることは否定できません。
それにしても、今年は新型コロナウイルスの感染拡大によって、
入試直前はその対応で右往左往しました。
ただ、そのおかげで3月に入ってから毎日5時間の対策ができて、
やるべきことをやり尽くして入試を迎えることができたことはコロナさまさまでした。
起こってしまったことはすべてが「悪」ではなく、
考え方によってはいい面もあるという典型ではなかったかと思います。
今年の卒塾生20名は、一人の脱落者も出すことなく、
中1の夏休み直前からこの日を想像して指導してきたので喜びもひとしおです。
彼らが中学生になって通常授業が始まったころ、
(こいつら、動物と同じやな...)
ついついそんな言葉が口をついて出てしまうほど状況は深刻で、
言葉が伝わらず、統制が効かず、制御不能、、、
毎授業時、
「こんなことは前代未聞じゃ!!」
と声を荒げなければなりませんでしたが、
男女ともにそれほどのエネルギーを秘めたそんなメンバーでした。
そんな日々がしばらく続いて迎えた初めての定期テスト。
不安しかありませんでしたが、盛り上がり方は尋常ではありませんでした。
秘めたエネルギーの大半がまだ何者かもよくわからない定期テストという敵に向けられ、
自習室は連日空前の盛り上がりを見せていました。
そしてテスト後、
彼らが持ち帰った結果は、
テストまでの数カ月を最も近くで見てきた自分を存分に驚かせるものでした。
そのとき初めて3年後の今日を意識しました。
テスト後の授業はそれ以前とはまるで別物で私語の一つもなくなり、
問題演習中はただひたすらペンを走らせる姿を見て
(これならいける。)
と一人ほくそ笑んでいました。
過度に課題を与えることも、マストを増やすことも、強制力も、可能な限り排除して、
方向性を示すことやアプローチの仕方を指導することに注力する毎日でした。
その後は実施される各テストにおいて塾生の中から代わる代わるに学年1位が誕生し、
ときには学年トップ10の半数以上を塾生が占めることもありました。
進路についても全体的に志が高く、
少々こちらが不安を抱えていても、
彼ら自身の意思の強さにこちらが背中を押されるような状況で頭が下がりました。
進路決定が迫った中3の年明けには、
2名の生徒が志望校を上げるという現実を目の当たりにして、
環境が与える子どもの成長への影響は計り知れないものがあると感じました。
「孟母三遷の教え」
という言葉がありますが、
その言葉を体現してみせた子どもたちでした。
どれだけ筆を走らせてみても文面では到底伝わりませんが、
今はとても幸せな気分です。
昨日はなかなか寝付けなかったくせに
今朝はアラームが鳴る随分前に目が覚めましたし、
今日を想像してお腹が痛くなることも日常で、
そんなことあるはずがないのに全員が不合格になることを妄想してしまったり、
毎年のことではあるものの保護者のみなさん同様に今日までの毎日は心休まりませんでした。
定員のあることですから致し方ないとはいえ、
たった一人でも今日という日を悲しい1日にさせてしまえば、
それ以外の喜びは霧散してしまいます。
そういう意味で今日はとても幸せな気分です。
そして今、とても眠いです。
中3のみんな、本当によく頑張った。心からおめでとう。
自転車のペダルから足を外してないか?
もう次の目標に向かって漕ぎ始めろよ。
次の目標はお前らが思うほど遠くはないぞ。
最後の授業
今年も最後の授業が終わりました。
一人ひとりにメッセージを添えて卒業祝いを手渡し、
パラダイムシフト、食わず嫌い、ポジティブシンキング、論理の出発点、
主にその四点について、彼らの豊かな未来に寄与することができるよう、
自らの経験を踏まえて存分に話して聞かせました。
昨日の国語の課題作文対策の際、
決められたテーマに沿って限られた行数にまとめる問いにおいて、
何人かの生徒の解答が、文章としては稚拙であるものの、
内容が秀逸だったので褒めてあげたところ、
「先生が言ってたから。」
というので、てっきり学校で同じような内容のテーマで対策があったのかと思ったら、
自分が言っていたことらしかった。
言った本人はすっかり忘れているものの、
こうして何人かの生徒の心には確実にその思いが届いていて、
きっと今日話した内容も心のどこかに留めてくれるに違いない、
そう思うと素直に嬉しかった。
午後から一人、また一人と塾を後にする生徒を見送っていると、
昨年もおととしもその前も、そして14年前の今日も、
きっと同じ感情を抱えていたんだということを思い出した。
毎年見送る生徒は変わるが、
彼らと過ごしたこれまでの日々を明日に集約させるという胸の高ぶりは、
何年経っても変わらない普遍的で情緒的なものなんだとあらためて感じた。
帰路につく友たちとエールを交し合う様子は、
これぞ入試は団体戦だと思わせる象徴的な行為に見えた。
明日は一日中テストの時間割を気にしながら、
夜の宴会の買い出しを済ませたのちは、
彼らの帰りを独り待つとしよう。
頑張って来い!!俺の可愛い生徒たち!!
続・97の矜持
祖母が入院してはや2ヵ月。
結局個室には入らず、4人部屋で他の入院患者さんの気配に勇気づけられながら、
97年目の日々を過ごしている。
会話を交わすことなどなくとも、隣のベッドの明かりが灯るとただそれだけでホッとする。
偽りのない感情を吐露する祖母に何とも言えない人間的な魅力を感じてしまい、
自分もそんな年齢になったんだということを嫌でも気付かされる。
日課となっているリハビリにも積極的なようで、
担当の理学療法士の方に褒められることもあるようだ。
「あの人は厳しいこと言う人や」
「あの看護師さんは優しいけど優しすぎる」
など、毒を吐くことも忘れていない。
カーテン越しに声が漏れるといったレベルを超えた声量に、
毎回冷や冷やさせられることにも慣れてきた。
火曜日と水曜日は小学生の授業がないため、
午後から夕方暗くなるまで病室にいることがほとんどだが、
毎週水曜日は父が我が娘の習い事の送迎のため夜は病室に来ないため、
「今日はうたちゃんを送ってくで昭は来んの、、、」
そう言っては毎回悲しんでいる。
という話を父にして二人で大笑いした。
父がいかに祖母に愛されているのかを、
この年になってまざまざと見せつけられている。
これも祖母の入院が生んだ副産物の一つだろう。
さて、今週の水曜日、
祖母にどうしても納得させるために意を決して病室に向かった。
最長でも4月初旬には退院を余儀なくされるため、
その後の祖母の処遇について事前に父と相談した内容を納得させる必要があった。
祖母は家族に迷惑をかけることを嫌い、すでに施設に入る段取りを進めているらしかったが、
家族の総意はそうでないことをどうしても言って聞かせなければあらなかった。
祖父のときは痴呆が進んでいたが、祖母はそうでない。未だ健全。
まして、激動の戦後・昭和を生き抜いた祖母の最後が寂しさに覆われていていいはずがない。
「あんたが考えるほど簡単なことじゃない」
と何度跳ね返されても、ベッドの配置、トイレまでの手すりの設置、風呂の手配、
もうこれらの準備を進めるからと半ば強引に首を縦に振らせた。
「そんなこと夢にも思わなんだ」
そう言って涙する祖母の本音も自宅へ帰ることなんだということを家族全員理解している。
いつもいた場所へいるべき人が帰ってくる。
それが我が家にとっての『普通』なのだ。
「もう何も考えんでいいんやでな、わかった?」
帰る際に念を押すと
「考え変わるかも知れません」
いきなりしおらしくなってしまった祖母にあらためて念を押して病室を出た。
ということで、4月には自宅へ戻ってまいります。
心配してくださったあなたに感謝しております。
めでたしめでたし。
となりますように、、、。
97の矜持
祖母が年末から入院し、今もまだ病院の真っ白な布団の上にいる。
原因は、自宅のベッドから起き上がる際に尻餅を着いたとかでその後痛みが引かず、病院での診察の結果小さな骨折やヒビが数カ所見つかったことだった。
以来、午前中は専ら父が、夜は誰か彼かが代わる代わるに付き添って、叔父や叔母、孫やひ孫たちも頻繁に病室を訪れている。
入院の事実を知ったときは驚いたが、退院まで3週間という一定の期限が設けられていることもあり、深く考えることもなかったのだが…
入院3日目、仕事の段取りがついたので一人病室へ向かうと、特に普段と変わりのない祖母が背もたれを持ち上げてベッドに腰掛けていた。
喜んでくれるものと思い込んでいたところ、
「もう来てくれるな」
そう一言目を発してから、時折涙で頬を濡らしながら思いの丈を語り始めた。
要約すると、家族のみんなに世話をかけて申し訳ない、特に父(長男)には迷惑かけてかわいそうだ、お金もかかるし手もかかる、こんな身体になって情けない、だから見舞いには来て欲しくなんかないのに寂しい気持ちがいっぱいで、、、
看護師さんはすぐ帰れるって言うばっかで嘘しか言わんし、先生に早く楽にしてくれと言っても聞いてくれへん、、、
しまいには、
死ぬことは怖くないからあんたひとおもいに後ろからゴツンとやってくれ、恨まへんから…
(って、おいおい、可愛い孫が犯罪者になるのはいいんかい!!)
という具合で、それから度々足を運んでみても堂々巡りの様子で、自由のきかない情けない身体を恨めしく思う気持ちと、それ故に病院暮らしを強いられていることへの苛立ちとが祖母を苦しめているようだ。
それでも、誰かが来ればやはりそれだけで気が紛れて饒舌にもなるし、看護師さんとの楽しそうなやり取りも聞かせてくれる。
ただ、どうやら明日からリハビリ病棟へ移動するらしく、さらにそこは個室らしいため、何でそんな寂しいところへ行かなあかんのか、それが悩みの種だと今明かしてくれた。
個室なら泊まりに来てあげようか?
と言っても、あんたにそんな負担はかけられんと涙する祖母。
なんとか気を紛らわせてあげようとこちらも必死になっているが、こんな仕事でなかったら毎日こんな様子も見られないと思うとありがたいことだ。
祖母にとっては非常に気の毒ではあるが、今回の祖母の入院してからの様子を目の当たりにして、97歳まで健康的に過ごしてきた秘訣が明瞭になった。
自分のことは自分でやる。
子も孫もひ孫までもが祖母の100歳を心待ちにしている中にあっても、祖母は一人の人間として年齢に甘えることなど微塵もない。
自分で着替えトイレに行き、食事をして日記をつける。
クロスワードパズルを楽しみ、ときにはラーメンだって家族と一緒に食べに行く。
たとえ100歳になろうとそれが普通であることに一点の疑いもない。そこに祖母の矜持を見た。
いつか自分が祖母の立場になったとき、病室の真っ白なベッドの上で何を思うのだろう。
今日も祖母の横顔を見ながらそんなことを考えている。
1日も早く自宅の定位置に戻って来てくれることを願うばかりだ。
来た道と行く道
今年も残り僅か。
来月には師走だというのに日差しの暖かい日が続き、
今日も期待を裏切らない陽気が心地よかった。
いつものガソリンスタンドで給油しながら真っ青な空を眺めていると、
すぐ隣から年配男性のやや怒気をはらんだ声が、、、。
「見えんのや!」
「何書いたるんや!?」
目をやると、助手席の窓から顔を出した妻と思しき女性が、
心配そうにご主人の様子をうかがっている。
どうやら機械の操作方法がわからないらしい。
ほどなくして給油が終わってもまだお隣は騒動継続中。
このまま放置はできないと思い顔を出すと、
いつの間にか奥さんも外へ出て、
二人で画面に映し出された細かい文字やアナウンスと格闘していた。
「どうしましたか?」
どうしたのかは容易に想像できたが、これが無難だろう。
「これ、わかりにくいですよねぇ。」
と声を掛けながら、素早くカードを受け取って処置完了。
あんなに不機嫌そうだった男性も、思いもよらぬ助け舟に表情が一変した。
きっとこっちが本来の姿なんだろうと理解した。
『子ども叱るな来た道じゃ、年寄笑うな行く道じゃ』
母だったと思うが、もしかしたら父かもしれないし祖父かもしれない。
家族の誰かであるのは確かだが、長女が誕生したばかりの頃に初めて聞かされた言葉だ。
以来、自分の中のバイブルとなった言葉の一つに挙げられる。
感情的になってしまって後悔することも一度や二度ではないが、
それでも子どもに対して腹が立ったとき、年寄に対して卑しむ気持ちが表れたとき、
この言葉によっていつも立ち返ることができる。
スタンドを後にする際には、
奥さんがわざわざ「ありがとうね。」と声を掛けに来てくれた。
とてもいい表情をしてみえた。
日常生活の何気ない場面ではあったが、
あらためて多生の縁を感じることができた。
それにしても、
利便性を追求するばかりのIT化に対して何の疑問も持つことがない自分に対して、
弊害から目を背けてばかりでいることこそ弊害であることを教えてもらった。
父にももっと優しく、パソコンの操作方法を教えて「やる」としよう。
いや、その「やる」という言葉がすでに弊害の始まりなのかもしれない…
十分配慮せねば、、、。
本との接点
「発明家の電気を読む」
当然誤りであるが、これは夏期講習会中に目の当たりにした小学生の漢字問題の誤答。
つい先日、小5の三女の漢字ドリルにも登場したので、
書きとりをしている隣で「伝記」の意味を尋ねたが知らなかった。
小5にもなって伝記の一つも読んでいないのかと途方に暮れたが、
それがわが子の現実であり、世間の現実とも乖離していないことを再認識した。
夏期講習会中、中学生の国語の授業でことわざや慣用句にも触れたが、
十中八九知らないといっても言い過ぎでないほど知らない。
私たち世代もそうだったのか、それとも知らないことが世間の常識になりつつあるのか。
小学生の授業中、わからない漢字があると聞きにきた児童に対して、
教室にいる同級生の児童に聞くようにいつも伝えている。
普段なら居合わせた児童の誰かが教えてくれるところだが、
その日は6年生が四人いたにもかかわらず誰も分からなかった。
三人寄れば○○の知恵
とホワイトボードに書いて、当てはまる言葉を知っている人がいるかと尋ねると、
手を挙げたのは5年生の男子一人。
「6年生が四人寄れば誰か知ってそうなもんやぞ、、、」
自然と愚痴が口を突く。
というか、四人寄って誰も知らなかった漢字の方が問題か。
その事件を契機に、中学生の各学年の授業でも意識的にことわざを取り上げた。
三人寄れば文殊の知恵
船頭多くして船山に登る
君子危うきに近寄らず
虎穴に入らずんば虎児を得ず
人生の生き方のヒントになるようなものも中にはあるため、
故事や慣用句、ことわざなどに触れることは大いに意味がある。
本心からそう思っている。
私は小学生時代、そのころどこの家庭にもあったと記憶している
ファミコンというものを買ってもらえなかった。
もちろんゲームウォッチも。
父が頑として子どもに与えなかった。
大いに恨んだのは言うまでもないが、
一方で、『こども~』シリーズの本は身近に溢れていた。
ことわざ辞典、星座辞典、昔ばなし、世界の偉人、日本の偉人などなど、
どれも漫画だったが、欲しいと言えばこちらはすぐに手に入れることができた。
暇な時間ができれば嫌でもそれらを手に取るしかなかったが、
読んでいるうちに面白くなりのめり込み、何度も繰り返し同じ本を読んだため、
インパクトのあるページは45歳になった今でも鮮明に記憶に残っている。
現代の子どもたちは余暇を持て余すようなことがない。
DS、スイッチ、タブレットにスマホ。
生来の本好きな子どもを除いては、本に手を伸ばそうと思う場面がない。
それしかないとなって、初めて本を手に取ることができる子どもも多かろうと思う。
本を読んで欲しいと願いながら、
本を手に取る場面を子どもから奪うアイテムを与える親が悪い。
そう一言で片づけるのは簡単だが、ファミコンしかなかった当時とは違い、
現代はそのアイテムに溢れている。
子ども同士のつながりも、そのアイテムによって構築されてしまうような、
そんな世相も親を悩ませる要因の一つか。
私は自分の子が小学生のうちは、ポータブルのゲームや通信機器は与えなかった。
与えてしまっては父に負けると思ったし、何によりも本を手に取る子どもにしたかった。
望み通り、長女は大の本好きにな子に育ったし、
次女も夏休みに『そして、バトンは渡された』を読破し、
三女も伝記は知らなかったが…お手伝いがよくできるので大目に見よう。(笑)
どうしても三番目は手抜きになってしまう、、、
学校の国語の授業でコラム学習というものを進めている先生がみえるが、
大いに結構、大賛成だ。
生徒たちはぜひ真面目に取り組んでもらいたい。
今回、小学生には小学校卒業までに最低一冊伝記を読むことを言い伝えたし、
塾としてできることは授業の中で精一杯実践していくが、
子どもの教育はあくまで家庭が中心。
難しい時代であることに間違いはないが、
愛するわが子に本との接点を与える努力を怠らず、
接点から延びる接線の延長線上にあるわが子の幸せのため日々思案していただきたい。
本がもたらすわが子の未来の幸せは、AIの蹂躙にも耐え得るはずだ。
ご健闘を。
ブームでは終わらせない
新中学1年生の熱量が半端ない。
昨日の国名テストに続き、来週の都道府県名テストの実施に向けて、
まだ中学に入学していない春休み終盤、9名の生徒が自主勉強にやって来た。
早々に都道府県を覚えてしまった者は昨夜配布されたばかりのテキストを自主的に進め、
その後テストが想定される英単語を調べては黙々と書きなぐる。
18時に一時帰宅して、19時から6名が再登場。
毎年中1の第一回定期テスト前に目にする現象だ。
一時のブームのようにやって来て、次に出現するのは高校入試直前。
が、今年は前倒しも前倒しの中学入学前。
定期テストの日程さえ知らない。
普通じゃない。
何としてもこの熱量が定期テスト前に失われるのだけは阻止せねばーーー
思春期の葛藤
出勤途中、数少ない友人の一人と車ですれ違ったが、
奴は眉間に皺を寄せたまま脇目も振らずに隣車線を走り抜けて行った。
毎回の授業終了後、
その日の学習の振り返りを書かせて次の授業の初めに提出することを義務付けている。
さらに週に一度は、今感じていることや日々の生活、部活動について、
テーマは各自任せて数行の日記のようなものも課題としている。
こちらからすればこれはコミュニケーションツールの一つで、
その中から家族との関わりや彼らの頭の中の一部を垣間見ることができる。
短い休暇時間や問題演習中では慌ただしいが、
すべて目を通してコメントを書き込むことが日課になっている。
そして今夜も。
ある生徒から。
「やる気はあるけど集中できません。」
「どうしたらいいですか?」
いいな。
そう思った。
成長してる真っ只中だな、と思った。
自分の心の中は自分が一番よくわかっているはずなのに、
コントロールすることができずにもがいているのが読み取れる。
ついこの間のよう、とは言えないが、
自分の過去と重ねてみても痛いくらいよくわかる。
やろうと思ってもできないし、
親に言われれば余計にムカつくし、
言われれば言われるほど反発してしまう。
負のスパイラル。
でも、健全な成長のためには避けては通れない道でもある。
立派に苦しんで成長を遂げてくれることを願うばかりだ。
そしてもう一人。
「先生、友達ってなんですか?」
「一番の友達にムカついてもいいんですか?」
いいんだよ、いいんだよ。
何が好きで、何が嫌いか。
何が正義で、何が悪か。
何を信じて、何を疑うか。
自分を自分が一番わかっていないのが今だから。
ありのままの価値観をぶつけ合ってしか真実は見えてこない。
ぶつけてもまれて、最後に残るものが真実だろう。
それでも友達でいられたとしたら、
そのとき生涯の友を得たことになる。
手を挙げるでも目くばせするでもなく、
アクセル全開で横を素通りされても真の友は真の友だ。
「杖」仕舞いにも多生の縁
岐阜駅のホームのベンチで電車待ちをしながら本を読んでいた。
隣には告別式帰りらしい高齢のご夫婦。
ご主人「これどうやるんやったかな」
短く畳めるらしい「杖」と格闘してみえた。
祖母の杖と同じような型だったため見覚えがある。
それではと、本を畳んでイヤホンを外し声を掛けてみた。
「僕、やりましょうか」
連結部分を引っ張ってカタカタと折り曲げて完成。
「あーすみませんな」
「初めて使ったもんで」
普段は使うことはないが、
今日は告別式のため使うこともあるかと持ち出したらしい。
【小さな親切大きなお世話】
そんな言葉もあるが、大嫌いだ。
大きなお世話を心配していたら、小さな親切も失われてしまう。
誰かにとっては大きなお世話でも、
誰かにとっては大きな親切に変わることもある。
生徒たちには、小さな親切を恐れないようにと言って聞かせた。
礼服の裏地にある白い刺繍が目に留まった。
【帯刀】とある。
(たいとう?) ※読めた方を尊敬します。
「失礼ですけど、これはお名前ですか?」
「えぇ、読めますか?」
ここから会話が弾みに弾み、大垣駅に着くまで続いた。
大垣市内ではこのご夫婦しか帯刀さんはいらっしゃらないとのこと。
すかさずネットで調べて、全国におよそ1900人みえて、
岐阜県内には何人で、~県が一番多くて、ここにもこれだけ…。
などと楽しい時間を過ごすことができた。
由緒あるお名前ですので、一度調べてみてください。
私はすでに何度も忘れてしまい、その度に調べています。。。
期待値を超えるとは 2
ガランとした店内を見渡しながら検査までの時間を振り返っていると、
ほどなくして「お待たせしました。」の声とともに注文の品が運ばれてきた。
普段であればここまで何の変哲もないうどん店の一コマに過ぎないが、
ここで店主がもたらした行為によって、
劇的な一日にさらなるスパイスが加わることになる。
「いつものうどんを少し用意しましたので、食べ比べてみてください。」
釜揚げうどんと汁が並んだ盆の上に、
小鉢に入ったいつものうどんがそっと添えられていた。
この瞬間、自分にとって小塚屋はただのうどん店でなくなった。
ディズニーを訪れる客のリピート率が高いことはよく知られているが、
それは感動が期待値を上回るからに他ならない。
すごく大きいらしい。と、事前に期待値を上げ過ぎたお陰で、
修学旅行で初対面した奈良の大仏にがっかりした記憶がある。
こんなものか、という印象が脳裏に焼き付いて、
以来足を運んだことがない。(今行けば学びも大きいだろうが...)
人は期待値を超えたものに遭遇したとき大きな感動を得る。
よって、期待値を超える演出によって顧客はリピーターとなる。
私はうどんが食べたくなったら、
今後は迷うことなく小塚屋に足を運ぶだろう。
そしてこのエピソードは全塾生の知るところとなり、
その中から新しい顧客が生まれ、リピーターとなる。
例にもれず塾も同じ。
いわゆる「普通の塾」では感動を与えられない。
リピーターは生まれない。
「下の子もお願いしたい。」
そう言われる塾でなければならない。
意図的に期待値を下げるわけではないが、
髭は剃らないし電話対応もうまくはない。
ただ、期待値を超えるような働きを課していかねば、
厳しい時代を生き抜いていけない。
そんなことを思い出させてくれた店主の対応に感謝するとともに、
またうまいうどんが食べたくなっている。
「期待値を超える」とは
昨年末、町の検診後に要再検査の通知が届き、
新年度が始まって落ち着いたこの時期しかないな...と、
覚悟を決めて胃と腸のダブル内視鏡検査を受けた。
好き勝手に飲食していた毎日のありがたみをどれだけ感じようとも、
下剤の容赦ない攻撃の前には抗うことを許されなかった。
前日からの攻撃のおかげで極度の寝不足のまま検査に向かったことが幸いし、
いつ始まってどこをどうしたかわからないまま、
看護士さんの「終わりましたよ」の声で目を覚ましたことには感謝した。
久しぶりの食事をどうするか、
ハンドルを握りながら箸を動かすイメージを膨らませ、
たどり着いた先はよく行く「小塚屋」といううどん店だった。
ただなんとなく釜揚げうどんを注文したが、
いつものうどんと異なるゆで時間への疑問が頭をもたげ、
他の客がいないことに背中を押され店主にその疑問を投げかけた。
なるほど納得の回答を得たが、腑に落ちるには食すしかなく、
次の機会にと覚悟を決めて席で待った。
つづく
4月4日44歳
何年も前から、
人生で一度の『幸せ(4合わせ)の日』×2がやってくることを想像し、
とはいえその想像によって何かを掻き立てられることもなく、
気が付けばその日が迫ってきていた。
前日、成人したかつての教え子が姉弟でやってきて、
話し込んでいるうちに日付が変わり、
想像していたよりはるかに賑やかな中でその日は訪れた。
家族はもちろん、友人や教え子からのお祝いメールが届くたび、
覚えていてくれることに喜びを思える一方で、
こちらは覚えていなかったりすることに申し訳なさも覚えた。
が、若いころより明らかに祝メが多いことは素直に嬉しい。
夜の授業、
中3の生徒たちからサプライズを受けたときがこの日の最高潮。
手の込んだサプライズには心底関心した。
以来、あちこちで写メを披露しては喝采を浴びています。
記念すべき『幸せの日』は、
自分を取り囲むたくさんの人たちの手によって、
素敵に彩られた心地よい一日でした。
みんな本当にありがとう。
2018 合格発表
今日は合格発表でした。
業界に入って何度も経験してきた日ですが、
今回は我が子の入試と重なったことで、
これまでとは違った一日となりました。
ここで多くを語ることは個人の尊厳に関わりますので、
利害関係のない身近な人に話すに留めますが、
今年もいろいろなことがありました。
ただ言えることは、
どれだけやっても、
出された結果に心満たされることはないということです。
そして、満たされたいが為にその過程に甘んじることはないということです。
言っててよくわかりませんが、そんなところです。
ただ、そんなモヤモヤを中1の生徒が晴らしてくれました。
今夜の授業、英単語テスト。
満点が半数を超え、追試はなし。
これまでで最高の結果でした。
理由と尋ねると、
2名の生徒が自主的に単語テストを作成し、
それをコピーしてみんなに事前に配布してプレテストを実施したとのこと。
数か月前には考えられないことです。
やればできるということ。
限界は自分で作るものではないこと。
今回の結果から学んだ生徒もいたと思います。
「今日のこの結果が俺は一番嬉しいよ。」
2年後、彼らが入試を迎えるとき、
今日の日のことを思い出して伝えてあげたいです。
努力した自分を褒めてやれるよう頑張ることの大切さを。
明日からまた新たなスタートです。
いつまでも余韻に浸っている訳にはいきませんので、
新年度に向けて体制を整えていきたいと思います。
バレンタイン🎵
今日はバレンタインデー。
昨日の授業開始時、
教室に入って行くと矢継ぎ早に手渡された。
美味しくないかも、と心配していただいたが、
そんなことは関係ないよ。
しょっぱくなければ問題ないよ。
たとえしょっぱくても食べるよ。
んー、やっぱりそれは無理かな...
でも、わざわざ準備してくれただけで十分だよ。
今年も美味しく太らせていただきます。
大盛況
連日塾が大賑わいです。
来月に入試を控えた中3の多くは、
私が作成する入試予想問題(ほぼ出ます)を解きます。
22時に作成するので「22時問題」。
まんまです。
今夜も合同の証明問題と対峙する面々。
23時を過ぎても活気に溢れています。
加えて、定期テストを控えた中2、中1が
拡大した自習室に収まらないほどやってきます。
おかげで連日大賑わいです。
まだ数名帰ろうとしません。
もう0時を回ります。
明日の学校は大丈夫なんでしょうか。
本人とご家族にお任せしますが、
ここまでやれる彼らには頭が下がります。
私はキーボードをたたきながら、
明日も頑張らねば。
と自らに言い聞かせています。
1/8 成人の日
午前中に教え子からLINEがあって、何人かで塾に来るとのこと。
誰が来るのかな~と、当時のメンバーの顔を思い浮かべながら待っていると、
こんなメンバーがやって来た。
中学を卒業して以来会っていなかった子もいたため、
高校時代をどのように過ごし、
大学入試をどのように乗り切り、
そして今どこで何をしているのか、手当たり次第に聞いてみた。
彼らにとってはすでに当たり前の日常が、
私にとっては新鮮味たっぷりで、
短い時間ではあったもののとても楽しい時間となった。
と同時に、
隣の部屋でテストを受ける中3の塾生たちも、
五年後にはこうなっているのかと思うと不思議な気がした。
こんな日が年に一度あると、
彼らが帰って来れる場を残してやらねば!
という新たな覚悟がうまれつつ、
寄る年波に抗いたい気持ちが大きくなった。
個性的な面々の新成人たち。
彼らの今後に大いに期待しようと思う。
とりっく おあ とりーと
昨日はハロウィン。
何種類かのハロウィン関連の言葉を入力すると、
LINEのトーク背景に変化が起こる粋なサービス。
公に公開されているのかいないのか定かでありませんが、
さすがここまで成長を遂げたSNSだけあります。
さて、それに負けていないのが当塾の高校三年生。
休憩中に声を掛けられたので振り向くと、
ビニール袋を手にしてこう切り出した。
「『とりっく おあ とりーと』ということで、
中学生のみんなに配ってあげてください。」
三種類の菓子袋がきれいに収まっていた。
「全部で60個で足りますか?」
そんなことまでちゃんと考えてるお前らすごい!
十分足りるよ!
今夜の休憩時間は、
私から、高3生から、そして塾生から、
差し入れとお土産のお菓子にありつけて満足顔の二年生でした。
それにしても、親の教育が素晴らしいのか、
はたまた私の教育が行き届いているのか、
何はともあれ、うちの教え子たちは素晴らしい!!
こいつらいい大人になるな。
そう思わせてくれる素敵な Happy Halloween でした♪
塾ナビ
初めて目にしましたが、
塾ナビというサイト。
全国の学習塾を運営側が勝手に登録しているのだと思いますが、
指導対象や内容はもちろん、塾のふりがなまで無茶苦茶でした。
が、お一人奇特な方が口コミを投稿してくれていまして、
どれもこれもが嬉しくなるような内容でした。
ですが、総合評価は5段階のうち2...
なかなか厳しい評価でした。
愚直に努力を継続していかなければ、
そう思わせていただくよい機会になりました。
旅立ちの日
昨日合格発表を終え、今年度も一つの区切りを迎えました。
今年も全員合格とはいきませんでしたので、
正直なところ喜びはほぼありません。
が、これも区切りです。
各々の進むべき道は決まりましたから、
心新たにそして謙虚に歩みを進めて欲しいと思います。
今年の三年生は、男女とも大変個性的な面々が集まり、
そのお陰で大変だった面もなくはありませんでしたが、
今思い返せば飽きることのない楽しい日々の連続でした。
日々の授業やイベントはもちろん、
中体連やコンクール、体育祭に合唱の集い、
最後は感動的な卒業式にまで出席し、
彼らの成長をすぐ近くで感じることのできた本当に幸せな一年間でした。
そして、そんな彼らがいよいよ巣立っていきました。
最後にとても素敵なサプライズを置き土産にして。
長い人生の中で最も多感といえる期間を、
彼らと一緒に過ごすことができて本当に幸せでした。
お陰様で、中3ロスがハンパないです、、、。
10年前も同じことを言っていたような気がしますが、
果たして10年後もこの感じは同じなのでしょうか。
私の人生は折り返しを迎えて久しいですが、
彼らの人生はまだ始まったばかり。
多くの失敗を糧として、
自分の望む成功を、そして自分の信じる幸せを、
その手でつかんでくれることを願うばかりです。
「いつまでもお前たちは俺の教え子だー。」
と、最後に誰にも聞こえない声でつぶやいて、
中3ロスを断ち切る自らの覚悟とします。
St Valentine's Day
みんな、ありがとう♪
おにぎり
先日から、学校から塾へ直行する小学生を対象に、
おにぎり供給サービスを開始しました。
まぁ、食べること食べること、、、
一度始めたからにはやめるわけにはいきませんので、
食育と日本のコメ消費量アップのため頑張っていきたいと思います。
ただ、米を研ぐ手の冷たさといったら...
主婦のみなさまの苦労が少しは理解できるようになった、
第一回定期テスト
第一回定期テストの得点が出そろいました。
業界泣かせの教科書の全面改訂年ですので、
対策に四苦八苦した面はありましたが、
生徒たちの、特に一、二年生の頑張りに支えられて、
テスト前日までフル稼働できました。
結果につきましては「塾生のがんばり」でご報告しますが、
初めてのテストを迎える一年生はまだしも、
今回は二年生の生徒が連日自習室を賑わしてくれましたので、
それ相応の結果をもたらしてくれました。
そう思うと、三年生の結果が今一つでしたし、
意欲もやや欠けていたように感じました。
修学旅行の計画を進めながらということで、
モチベーションがそっちの方向へ引っ張られていたこともあったのかも知れません。
とにもかくにもテストは終わりましたので、
塾の方では個別面談を実施して、結果についての検証をしようと思います。
4/4 誕生祝い
昨日の夕方、
小学生の授業中に、駐車場で何やら騒がしい。
何事かとブラインド越しに覗き込むと、
見覚えのある顔がちらほら。
声を掛けようと入口を開けると、
「誕生日おめでとー!!!」
これまで受けたことのない数のクラッカーを浴びせられた。
高校2年生になろうとするかつての教え子が、
手に手に誕生祝いを持って来てくれたのだ。
「俺、なんて愛されとるの!」
「愛しとるで!」
「お前らに何を返せばいいんや?」
「愛で返して!」
抱えきれないほどのプレゼントを手に記念写真を撮り、
それぞれと久しぶりの会話を楽しんだ。
40歳を越えて、
これほど素晴らしい誕生日を迎えられるなんて、
本当に、なんて幸せ者だろう。
その他、数々の教え子からお祝いメールをもらい、
その返信に追われながら幸せを噛みしめた。
わが子たちよ、よ~く見ておきなさい。
第一次選抜
今日は第一次選抜入試当日。
朝早くに激励メールを送り、
以降は時計を気にしながらそわそわ過ごしました。
18時を過ぎたころから塾生が顔を見せに来てくれ、
今年も持参した雑巾を駆使して窓ふきをしてくれました。
その後、みんなで解答速報を見て一喜一憂し、
今は歓談中といったところでしょうか。
発表は一週間後。
今年はどんなサクラが咲くのでしょうか。
2/3 何を断つ
人生初の大舞台に臨む中3生に対して 「何を断つ」 か迫った。
これまでの日常に甘んじた自分のまま、
最大の成果を手にしようなどという考えは虫がよすぎる。
欲を断ち、自分を律して、目標に向かって突き進むべし。
ということで、私も生徒たちとともに苦しむことにした。
今週末はかつての教え子の結婚式に招待されているので、
ここぞとばかり存分に美酒を味わってきますが、
日中の披露宴ということで、
生徒も自分も裏切ることにはなりませんので悪しからず。
1/11 あれから10年
成人式当日、
今年新成人になったかつての教え子から急に連絡があり、
冬期講習会中だったが顔を出してくれた。
久しぶりに再会して、通塾当時の話しで大いに盛り上がり、
さらにはそれぞれの近況やこれまでの数年間について、
詳しく話を聞かせてもらった。
一人ひとりの成長に感慨を覚えながら、
彼らの数年後に思いを馳せた。
10年後の幸せを願って指導していた当時から、
数年後にはいよいよよれ現実のものとなる。
幸せに溢れた「あれから10年」であることを願ってやまない。
10/3 受験生としての自覚か
定期テストが終わり、いよいよ10月がやってきました。
入試まで半年を切った受験生としての自覚でしょうか、
このごろ中3生の自習室利用率が高くなってきました。
私は特に何も言っていませんので、
彼らが自発的に学習を始めたという事実は、
今月から始まる入試対策講座を大きく後押しするものだと感じています。
来春のサクラを満開に咲かせるため、
誰よりも有意義な時間を過ごしていってくれることを願うのみです。
夏期講習会
今日7/22から、いよいよ夏期講習会が始まりました。
中1は、一学期の復習と、二学期定期テストに向けた対策を。
中2は、初めての志望校判定テストに向けて偏差値アップを。
そして中3は、何といっても実力テストでの50点アップを掲げて。
それぞれが何か一つ課題をもって、それに向けて努力し、
2015も実りある夏にして欲しいと思います。
新年度一発目
いよいよ、新年度一発目の定期テストです。
中1にとっては、文字通り入学後初めてのテストになります。
叱咤激励の意味を込めて、
先日実施した中1プレテスト結果を今夜返却します。
親さんには今日の午前中に個別にメール報告差し上げましたが、
良くも悪くも、定期テストへの動機付けという大役を果たしてくれました。
テストまであと10日。
まだまだできることは山ほどあります。
それが何かも、今夜伝えることにします。
中2、中3も、納得の結果が得られるよう、
精一杯努力して欲しいと思います。
全員合格
本日の合格発表において、塾生全員が志望校への合格を果たしました。
中1のころから期待の大きかった学年ではありましたが、
その期待を上回るほどの成長を遂げてくれました。
思い起こせばいろいろなことが頭をめぐりますが、
今となってはそのどれもこれもがいい思い出です。
男女問わず本当に仲のいい学年で、授業も非常にやり易く、
お互いが意識し合いながらお互いを高められる、
そんなメンバーがそろった学年でした。
授業の脱線もしばしばでしたが、それはそれでいつも全力で盛り上がりました。
もう彼らに教科指導をすることはありませんが、
人生にとって必要なことは、まだ教えてやれることがあると思います。
卒塾生は永久に無料で自習室を利用できますので、
そんな機会があれば助言してやりたいと思います。
塾がお休みになる訳ではありませんが、
気持ちの面でしばらくお休みしたいと思います。
みんな、本当におめでとう!
来週の焼き肉で会おう♪
祝 卒塾
今年も最終日が終わりました。
毎年のことですが、達成感と寂寥感とが混じりあう、
なんとも言えない妙な感覚です。
今年の卒塾生は17名。
とにかく授業がやり易く、指導者側の苦労が少ない学年でした。
目的意識が高い生徒が多く、まさに切磋琢磨しながら成長を遂げた
そんな印象を受けたこの一年でした。
最後になった今日の講義も、みんなしっかりと聞いてくれました。
彼らの将来の幸せのため、少しでも貢献できれば幸いに思います。
午後からはフリーにしたので、
各自が自由に楽しく勉強しながら(?!)夕方まで過ごしました。
今年の入試は、一部の学校でかなり高倍率になり、
楽な年でないことは明白です。
が、「奴らなら」と思わせてくれる奴らです。
明日のTV速報にはほぼ全員がそろうことになったので、
また賑やかなひとときが訪れることと思います。
今年はどんなサクラが咲くか。
3/6 卒業
中3のみんな、
卒業おめでとう!
いい卒業式だったみたいでよっかた。
塾生が読んだ送辞も答辞も聞きたかったが、
上々に大役を果たしたに違いない。
入試まであと3日。
最後まで努力を積み上げよう。
2/6 小学生の授業
小学校の卒業が迫ったこの時期、
例年、ぽつりぽつりと小6の入塾の問い合わせが増えて、
本当に短い間ですが塾の最大規模を形成します。
今年は、新中1が先週一杯で満席になり、
開塾以来最大規模に膨れ上がりました。
そんな中、金曜日の小6クラスがとてもおもしろい。
男子ばかり8人で、手に余るほどの勢いですが、
その彼らがおもしろくて楽しくて。
学校の様子を聞く限りとても優等生タイプとは言えない彼らが、
ただ真っ直ぐに問題に取り組む姿には感動さえ覚えます。
休み時間になれば本性を現し、
思う存分賑やかにしている姿も微笑ましい。
全員が一つの目標に向かったとき、
こいつらすごいことやってくれるんじゃないかと、
十分すぎるくらい期待を抱かせるやんちゃ坊主たちです。
いつかそんな日が来ることを信じて、
今は学習する姿勢を定着させるため日々奮闘中です。
来年度の大きな楽しみが、生まれつつある今日この頃です。
1/17 テスト前
中3最後の定期テストまで残り5日。
その後は入試まで一直線。
今日は高専の推薦入試があったので、
その発表が弾みとなれば言うことはない。
明日は朝からテスト対策。
外は寒いが、内は熱気を帯びることだろう。
12/29~30 合宿
二日間の合宿をさきほど終え、いよいよ今日で仕事納めです。
今年の合宿では数学の問題を一新し、
新傾向の問題をふんだんに盛り込んだ問題集を用意しました。
かなりの問題数だったにも関わらず、
全問解いてしまった生徒が現れたのには驚きました。
最後は先生役を頼むことになり、
手が足りない私は大助かりでした。
前夜は遅くまで起きていたようで、
私が床につくころにはまだ騒がしい部屋もありましたが、
それも楽しい思い出のひとつとなったことでしょう。
食事を終えたあとの休み時間には、
冷え込む体育館にも熱気が溢れていたようで何よりでした。
年始は4日から再開です。
帰りのバスでも話したように、
これまでの14年間とは一味違った年末年始を過ごして欲しいと思います。
みんな、お疲れ様。
今年も一年間楽しかった♪
12/6 懇談会
今年度2回目の保護者懇談会が始まって4日。
中3のお子さんをもつ保護者の方とは進路の話が中心で、
これから3か月の目的は明確であるため、
現状と課題について実りある話ができていると思う。
一方で、直近の第三回の定期テスト結果が芳しくない
中2、中1の保護者の方との話は、
ときとして次の言葉が見当たらなくなるときもある。
結果を出すためには、子ども自身のテストに対する
明確な目的意識が必要不可欠だ。
塾に依存し、自ら学ぶ姿勢に乏しい生徒は結果が出ない。
かといって、
結果だけを追い求めてありったけの過去問を与えたところで問題の本質は解決しない。
楽しいけど点が上がらない塾。
点は上がるけど楽しくない塾。
どちらも失格だと思うが、後者の方があるべき塾の姿といえる。
だが、
楽しくて点が上がる塾。
これを追求せねば、塾人として生きてきたこの約20年は何だったか。
20年経っても暗中模索状態であることを嘆いていても仕方ない。
思いついたことは何でもTRYする精神で、
次のテストに向けて策を練るとしよう。
さて、男40才。
話の中で思いのよらない情報が飛び込んでくることがある。
まったくの盲点ともいうべき点を指摘され、たじろぐと言った方が適切か。
こんなとき女性の目線があればな、、、
と落ち込むこともしばしば。
しかし、先ほどトイレ掃除をしながらそんな思いも一緒に流しておいた。
教室ではルンバも働いている。
明日一日充電して、また来週から頑張るとしよう。
11/18 テスト前日
午後5時を過ぎたころから学校帰りの生徒が来はじめて、
ついでに高校生も自習にやってきて、
今日も自習室はほぼ満席になっていました。
学校帰りの中1女子たちは、
夕食までの時間、私語をすることもなくただ黙々と勉強。
感心、感心。
夜は中2の授業。
明日の教科を隈なく最終確認。
要点は網羅できたので、あとは明日発揮できるかどうか。
休憩時間にサッカー中継を見ながら、頼まれた過去問の印刷。
質問にきた中3生には高校生が対応。
自習室永久無料利用権を付与する対価として学習指導を。
今日も慌ただしい一日でしたが、もうテスト当日です。
全力尽くして頑張ってこーい!!
11/11 ポッキーの日
今日はポッキーの日。
女子生徒が自主的にポッキーを持って来て、
休み時間に配っていいかと言うので許可しておいた。
楽しそうにみんなで分け合っている光景を見ながら、
奥歯に詰まったポッキーと格闘していた。
授業前、
就職の報告に来た高校3年生としばらく話し込んだ。
仕事のこと、野球のこと、将来のこと、話は多岐に及んだが、
これから生きていく上で大切なことに話が及んだとき、
中学最後の授業の際に配布した講義のレジュメを、
大切に部屋の壁に貼ってあることを聞かさた。
話した本人にはおぼろげでも、
聞かされた彼の中では今も生かされていたようだ。
時間がきたので、私のバイブルである一冊を貸し出して別れた。
彼のこれからに必要な一冊になれば幸いに思う。
a:6166 t:2 y:2